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史跡
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■岩切城跡
 自然地形を利用した中世の典型的な山城です。源頼朝によって陸奥国留守職に任命された伊沢家景の子孫、留守氏の居城です。規模が大きく、残存状態が良好なことから昭和57年に「国指定史跡」に登録されています。本丸のあった平場の他、堀切、土橋、土塁と呼ばれる施設も確認されています。
■郷楽遺跡
 縄文時代から中世にかけての遺跡です。中でも古墳時代の円墳からは朝顔型埴輪と呼ばれる埴輪が見つかっています。これは県内において見つかっている例は少なく、大変貴重なものです。また、平安時代の大規模な集落跡も見つかっています。
■菅谷穴薬師
 道案寺横穴古墳群の一つで、横穴壁面に削られた「磨崖仏」をさします。「岩切のお薬師」・「七ヶ浜湊の薬師」と共に「三薬師」とよばれ、今から約1200年前に慈覚大師が一夜のうちに造ったといわれています。
■硯沢窯跡
 春日大沢窯跡・大貝窯跡と共に春日大沢窯跡群の一つで奈良時代の須恵器窯跡、平安時代の瓦窯跡、竪穴住居跡等が見つかっています。製作された須恵器や瓦は古代の役所である多賀城政庁に運ばれ、使用されたようです。
■十三本塚
 本来13基あったものと思われますが、現在、3基残っているのみです。その中の一つは古くから「野中の古塚」とよばれていました。十三本塚は全国に多く分布していますが、いろいろな説があり、その性格や意味は分かっていません。
■大貝窯跡
 硯沢窯跡・大沢窯跡古代の須恵器・瓦窯跡が多数見つかっています。その他、中世の製鉄炉跡も確認されています。中世の製鉄炉跡は県内において確認されている例は少なく、大変重要な発見になりました。
■川袋古墳群
 3基の円墳が見つかっています。1号墳からは横穴式石室と呼ばれる遺体を納める部屋が見つかっています。石室内や周囲からは鉄製品(直刀・馬具・農具等)、須恵器等が出土しています。
■春日大沢窯跡
 本町、春日には「瓦焼場」という地名が残されており、昔から瓦を焼いた場所として伝えられていました。平安時代の須恵器・瓦窯跡の他、近世の瓦も見つかっており、その中の一つには「太田一兵衛」という刻印のある瓦も含まれています。これと同じものは松島町瑞巌寺においても見つかっています。
■竹林城跡
■道安寺横穴古墳群
 道安寺の裏山一帯に100〜200の横穴があるといわれています。調査の結果、39基の横穴が見つかっており、中からは副装品である須恵器・土師器等の土器類の他、勾玉・管玉等の装身具、直刀等が出土しています。
 また、中世には横穴は信仰の場所として再利用されていますが、ひとつの横穴には河原石が敷き詰められており、お経を石に書き写した「写経石」も見つかっています。
■八幡崎遺跡
 古墳時代から平安時代にかけての集落跡等が見つかっています。それぞれの遺構からは土師器・須恵器等の遺物がたくさん出土しています。見つかった土器の中には関東地方で多く見つかっている土器も含まれており、交流があったものと思われます。
■浜田洞窟遺跡
 縄文時代前期から弥生時代、奈良時代にかけての遺跡です。洞窟の中からはそれぞれの時代の土器等が見つかっています。また、付近からは縄文時代の貝塚も確認されています。
■勿来の関跡
 現在、「勿来神社」をひっそりと残すのみですが、古代、この場所に関所があったといわれています。現在でも周囲には「名古曽川」・「惣の関」といった関所に関連した地名が残されています。また、この地において源義家は「吹く風を勿来の関と思えどもみちもせにちる山桜かな」という歌を詠んだといわれています。
■利府城跡
 自然地形を利用した山城です。留守氏の家来であった村岡氏が築いたといわれています。
当初、「村岡城」とよばれていましたが、永禄13年(1570)に留守政景が岩切城から利府城に移った際に「利府城」と改められました。政景は黒川郡大谷城に移るまでこの城を本拠地としました。
■六田遺跡
 発掘調査の結果、縄文時代の竪穴住居跡等が多数見つかっています。また、住居跡やその周辺からは多数の縄文土器と共に石器・石製耳飾等も出土しています。
■櫃ケ沢遺跡
 浜田洞窟遺跡近くの海岸線に沿って位置しています。周辺からは製塩土器(塩をつくるために海水を煮るための土器)がたくさん見つかっています。