利府町都市計画の変遷

更新日:2020年03月25日

戦前の都市計画

 ○戦前の利府町の都市計画区域は赤沼地区の一部が塩釜都市計画区域の指定を受けており、この頃は山林や田畑がほとんどで、既存集落が肩を寄せ合うように張りついていました
 ○東北本線の山線といわれる鉄道が松島町まで延びています
 ○利府小・中学校が同じ場所に並んで建っています
 ○国道45号の須賀第1第2トンネルもありませんでした

戦後の都市計画(昭和20年・30年代)

○ 戦後まもない頃の写真を見ると、のどかな純農村地帯を連想します
○戦争による大きな被害はありませんでした
○名古曽川が旧利府町役場のわきを流れています
○田んぼが不整形で土地改良をしていません
○道路は未整備で砂利道でした
○浜田漁港の漁港も整備されていません
○菅谷分校と赤沼分校があります
○現在の菅谷台等は山林でした

高度経済成長時代の都市計画 昭和40年代

○昭和45年8月に仙塩広域都市計画の指定を受けました
○神谷沢団地と梨ヶ丘団地の造成が始まりました
○利府バイパスが工事着手され、一部が開通しました
○この時代あたりから本町の都市化が始まります
○水田の区画整理が推進されました
○利府中学校が現在の場所に新築されています
○利府町役場が完成しました
○浜田の採石場で採掘がはじまりました
○給食センターがオープンして小中学生へ給食が開始されています
○春日浄水場が完成しました

安定経済時代の都市計画 昭和50年代

○しらかし台の造成が完了しました
○館町営グランドが完成しています
○緑化センターがオープンしています
○利府高校が開校しました
○利府第2第3小学校が開校しました
○車両基地の建設が推進され、56年に完成し、それに伴い新利府駅が整備されました
○北浜沢乙線の一部が完成しました
○利府浄水場が完成しました
○東北新幹線が開通しています
○総合体育館が完成しました
○利府バイパスが全線開通されました
○砂押川名古曽川の一部改修が行われました
○浜田須賀漁港の整備をしています
○浜田保育所が開設されました

バブル経済時代の都市計画 昭和60年・平成初期

○バブル経済に乗るかのように本町においてもニュータウンの建設が推進され、62年には利府駅及びコミュニティーセンターが完成しました
○利府駅前土地区画整理事業を推進しました
○花園ニュータウン・シーアイタウン利府青山・ヒューマックス利府青葉台分譲が開始されました
○三陸自動車道の工事が着工されました
○宮城県サッカー場がオープンしています
○利府養護学校が開校されました
○惣ノ関ダムの工事が着工しています
○しらかし台小学校・中学校が開校しました
○十符の里プラザがオープンしました
○青山小学校が開校しました
○菅谷台の造成が完了し分譲が始まりました
○保健福祉センターがオープンしました
○宮城県運動公園の工事が着工し、プールが完成しています
○館山公園整備が完了しています
○利府町中央公園(十符の里パーク)が完成しました

バブル崩壊後の都市計画 平成10年代

○大規模団地や利府駅等を連結する都市計画道路、森郷菅谷線、神谷沢春日線等の道路がほぼ完成しています
○利府葉山大規模住宅団地の第1期造成が着手され、16年には分譲が始まっています
○利府町青葉台・菅谷台保育所が開所しました
○惣ノ関ダムが完成しました
○菅谷台小学校が開校しました
○大規模ショッピングセンター及びペアガーデンがオープンしました
○宮城スタジアムが落成しました
○利府町役場・町民交流館の工事が着手されました
○しおりふれあいトンネルが開通しています
○利府町生涯学習センターがオープンしました
○利府西中学校が開校しました
○仙台北部道路の工事が着手され、14年には一部が開通し、しらかし台ICが完成しています
○ペア・パル利府(役場庁舎・町民交流館)が落成しました
○利府町野中南土地区画整理事業が着手されました
○利府町神谷沢土地区画整理事業が着手されました
○ペアガーデン2がオープンしました

現在の都市計画 平成20年

○山を切り開いて団地開発や公益施設等の整備を進めてきたのが、これまでの写真を見るとよくわかります
○今後は自然環境と調和を図り、環境にやさしい、人にやさしい、都市づくりを目指します

この記事に関するお問い合わせ先

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