菅谷横穴墓群

更新日:2023年08月03日

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散策の際には足元に十分注意いただき、気温の高い時期には熱中症などにもご注意ください。

7世紀の初め頃に造られ始めた横穴墓群です。

総数は100基とも200基とも言われていますが正確にはわかっていません。

横穴墓は当時の身分の高い人たちのために造られたお墓のことです。

昭和40年から41年にかけて39基の横穴墓の調査が行われ、土師器(はじき)・須恵器(すえき)などの土器類や、直刀などの鉄製品、勾玉(まがたま)・管玉(くだたま)などの装身具が数多く見つかっています。

見つかった土器の中には、関東地方や東海地方で作られた土器と同じ特徴を持つ土器も含まれており、全国に広く交流があったものと推測されます。

横穴墓群が造られた7世紀頃は豪族などのお墓として利用されていましたが、13世紀頃になると、仏教の修行の場として再利用されるようになりました。

調査が行われた横穴墓の中には、10cm四方の大量の河原石が敷き詰められた場所も見つかりました。

その中からは、現在の写経と同じように石にお経を書き写した「写経石(しゃきょうせき)」と呼ばれる物が見つかっています。

墨で書かれた文字からお経の題目や弘安六年(1283年)という日付けなどを読み取ることできました。

菅谷の穴薬師

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穴薬師周辺に駐車場はありませんのでご注意ください。

横穴墓の中の一つに壁面を削って磨崖仏(まがいぶつ)が刻まれた箇所があります。

この磨崖仏は菅谷の穴薬師と呼ばれ、9世紀頃に慈覚大師(じかくだいし)によって造立されたと伝えられています。

仙台市岩切・七ヶ浜町湊浜にも慈覚大師によって造立されたと伝わる穴薬師が残っており、岩切を「宵のお薬師」、利府を「夜中のお薬師」、七ヶ浜を「暁の薬師」と言い、これらを合わせて三薬師と呼んでいます。

 

利府町誌「菅谷の穴薬師」より

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